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北鎌倉(山ノ内)定番の名所・観光スポット


北鎌倉(山ノ内)周辺エリア

鎌倉市山ノ内エリアには北鎌倉駅があり、北鎌倉の通称で呼ばれる人気の観光エリアです。
平安時代末期、この地域には山内荘(現在の大船、栄区、保土ヶ谷区を含む一帯)と呼ばれる広大な荘園がありました。
現在の北鎌倉は、この山内荘の一部の地域で、鎌倉時代には数多くの寺社が建立され、現代に至るまでその姿を残し当時の繁栄を物語っています。
鎌倉時代の貴重な遺産に触れることができるのは北鎌倉の最大の魅力と言えます。
地域の区分では大船地域に含まれているのは以外ですが、鎌倉地域の北西部と接する位置にあります。
南部・北東部は、ほとんど開発されていないため、現在も豊かで美しい自然が残っていて、多くの人がハイキングや自然の景色を楽しんでいます。
四季を通じて色々な花が咲き、中でも紫陽花(アジサイ)、紅葉の季節は見事な景色で多くの観光客を魅了しています。
美しい自然と名所旧跡が立ち並ぶ北鎌倉は、1年中人の集まる鎌倉屈指の観光スポットとして人気を呼んでいます。

円覚寺(engakuji)

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北鎌倉駅前に総門を構える円覚寺は鎌倉観光で最初に訪れる人気の観光名所となっています。
円覚寺の正式名は瑞鹿山円覚興聖禅寺(ずいろくさんえんがくこうしょうぜんじ)、境内は60,000㎡の広い敷地を有しています。
山号は瑞鹿山(ずいろくさん)、鎌倉五山第二位の臨済宗円覚寺派の大本山で、大変格式の高いお寺になります。
瑞鹿山(めでたい鹿のお山の意)の山号は、中国・宋の高層、無学祖元禅師の大変ありがたい法話を拝聴させて頂くために白鹿が集まってきた、という逸話から付けられたとされています。
鎌倉幕府8代執権北条時宗(ときむね)は18歳で執権職を継ぎ、宋の高層、無学祖元禅師を師と仰ぎ禅宗に深く帰依していきます。
円覚寺は、この無学祖元禅師が開山したお寺で、総門から方丈までを一直線に結ぶ宗風の配置が施されています。
総門を通り過ぎると三門(さんもん)、国宝洪鐘(おおがね)、居士林(こじりん)、方丈(ほうじょう)、妙香池(みょうこうち)、国宝舎利殿(しゃりでん)と奥まで続いていきます。
宋とは友好関係にあった鎌倉幕府ですが、宋を滅亡させた元とは争うことになります。
円覚寺は、元寇(蒙古襲来)の戦没者追悼のために、時宗の開基によって開かれたお寺で、日本の武士だけでなく敵国である元の兵士(モンゴル軍、高麗軍)も分け隔てなく供養されています。
当時の世界人口の半数以上を配下にする強大なモンゴル帝国軍の襲来を2度まで退けて壊滅させた時宗ですが、そのわずか3年後に32歳の若さで世を去りました。
執権職を継いでからは、元寇への対応で一生を費やした時宗ですが、戦後処理の最後に円覚寺を後世に残しています。
その後、無学祖元禅師の法脈は鎌倉時代から室町時代へと脈々と受け継がれていきます。
また、円覚寺の境内は1946年に史跡として指定され、夏目漱石や島崎藤村の参禅したお寺としても知られるようになりました。
きっと漱石や藤村も私と同じ気持ち(ネタ探しです)でこのお寺に参禅したのでしょう。
座禅、写経などの体験会も開催されていますので、日頃から心が乱れているミーハーママ達、煩悩から解放されるきっかけとなるかも知れませんよ。

■観光情報

交通:JR横須賀線北鎌倉駅徒歩1分(駅前に円覚寺総門があります)
住所:鎌倉市山ノ内409(☎0467-22-0478)
時間:8:00-16:30(12月-2月:8:00-16:00)
拝観料:大人300円、小人100円
季節の花:梅(2月中旬-3月中旬、桜(3月下旬-4月上旬)、紫陽花(6月中旬-6月下旬)、紅葉(11月中旬-12月下旬)

東慶寺(toukeiji):縁切り寺

■歴史

東慶寺は、山号を松岡山、寺号を東慶総持禅寺、女性庇護の縁切り寺として、鎌倉時代から600年の歴史を持つ臨済宗円覚寺派の尼寺です。
開基は鎌倉幕府9代執権北条貞時(北条時宗の嫡男)、開山は北条時宗の正室、覚山尼(堀内殿)で北条得宗家(執権家)ゆかりの尼寺と伝えられています。
覚山尼は北条時宗臨終の間際、無学祖元を導師として二人揃って落髪して出家、時宗没後、東慶寺を建立して住持となりました。
南北朝時代には後醍醐天皇の皇女、用堂尼が五世住持となり、住持を御所様、寺を松岡御所と称される大変格式の高い寺院となります。
用堂尼は兄の護良親王の菩提を弔う為に東慶寺に入ったとされ、東慶寺は現鎌倉宮周辺、二階堂を含む広大な地域を領有することになります。
用堂尼以降、室町時代の東慶寺住持は、鎌倉公方、古河公方、小弓公方など由緒ある格式の高い家柄の娘が務めてきました。
戦国時代に入ると後北条氏の庇護を受け、舞岡、野庭(現横浜市港南区)を含む広大な寺領を保有していたようですが全容は不明です。
東慶寺の寺領がはっきりするのは家康の時代に入ってからで二階堂86貫60文、十二所内20貫80文、極楽寺内6貫240文、合計112貫とされています。
鎌倉では円覚寺144貫に次ぐもので、鎌倉五山一位の建長寺96貫よりも大きな寺領を保有し、江戸時代に入ってからも維持されていきます。
大阪城落城の翌年には秀頼の娘、天秀尼(出家後は天秀法泰)が千姫の養女として東慶寺に入寺し、その後20世住持を務めます。
天秀尼入寺以降の東慶寺は千姫を通して徳川幕府と強い絆を持ち、3代将軍家光の弟忠長切腹後には屋敷が解体され東慶寺に寄進されています。
寄進を進めた人物は千姫と春日局、仏殿、客殿、方丈、大門などが寄進され、その後仏殿は三渓園(横浜)に移設され重要文化財として残されています。
会津四十万石大名、加藤明成と家老堀主水、双方の家臣同士の争いを発端として堀主水は会津を出奔し、妻子を東慶寺に預けて自らは高野山へ向かいます。
加藤明成は東慶寺に庇護されている妻子の引き渡しを迫りますが、天秀尼はそれを拒否します。 さらに天秀尼は鬼の形相で「古来よりこの寺に来る者いかなる罪人も出すことなし、無道至極なり、明成を破却させるか、この寺を退転させるか、二つに一つぞ」と迫ります。
大名行列も道を譲る天秀尼の気迫に押され追手達も引き下がらずをえませんでした。
その後加藤明成は自ら願い出て家督を返上、会津四十万石は改易となり、堀主水の妻子は会津へ帰って天寿を全うすることになります。
天秀尼の気迫もさることながら、当時の東慶寺には治外法権という特権が許された特別な寺社で、大名をも凌ぐ強大な力を持っていました。
これも天秀尼のバックボーンに千姫の存在があったことによるものでしょう。
家康は自分の正室を自害に追い込んだ自責の念があって、女性には甘かったということでしょうか。
絶大な力を持った天秀尼以降、東慶寺の格式ゆえに適任者が見つからず25年後に21世住持として永山尼、さらに21年後に22世住持として玉淵尼が務めています。
その後明治に至る130年間は住持不在となり、住持代理として院代が務め、1902年(明治35年)最後の院代順荘法孝尼が亡くなり尼寺としての東慶寺の幕を閉じました。
ちなみに江戸時代の縁切り寺は東慶寺と満徳寺の2つの寺社だけが認可されていました。

■境内

鐘楼・書院・本堂・水月堂・寒雲亭(茶室)・白蓮舎(立礼茶室)・松岡宝蔵
境内奥に位置する松岡宝蔵には聖観音菩薩立像、東慶寺伝来の寺宝、縁切り文書が展示されています。

歴代住持の墓
イワタバコ岩壁先の石段の上には歴代住持の墓があります。
皇女用堂尼・天秀尼・永山尼・蔭涼軒院代・順荘尼が埋葬されています。
覚山尼は供養塔のみ、墓は夫時宗と同じ円覚寺に埋葬されています。
文人の墓碑、句碑、歌碑が数多く残り、夏目漱石も訪れています。

■四季の花

花のお寺としても知られていて、季節を通じてたくさんの種類の花が咲き、訪れた人の目を楽しませてくれます。
春:2月~4月は梅・彼岸桜・枝垂桜・うこん桜・八重桜
夏:5月~6月は黒姫アジサイ・額アジサイ・柏葉アジサイ・花菖蒲・イワタバコ・イワガラミ
秋:10月~12月は秋桜・杜鵑・竜胆の花・紅葉
冬:紅葉を最後に花も年末から1月は冬眠の時期、ゆるりと境内を見て回りましょう。

■観光情報

交通:JR横須賀線北鎌倉駅徒歩約4分
徒歩:北鎌倉駅から線路を右にして300mほど南下すると右側にあります。
住所:鎌倉市山ノ内1367(☎0467-33-5100)
時間:8:30-16:00(4月-9月:8:30-16:30)
拝観料:200円(松岡宝蔵:常設展400円・特別展500円)

建長寺(kenchouji)

鎌倉時代の建長5年(1253年)に建立された禅寺で、鎌倉五山第一位の臨済宋建長寺派の大本山です。
開基は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山は南宋の禅僧蘭渓道隆(大覚禅師)、宋との交流も盛んな時期で寺社の中では中国語での会話も珍しくありませんでした。
山号は巨福山(こふくさん)、寺号は建長興国禅寺(けんちょう こうこく ぜんじ)、本尊は地蔵菩薩、境内は史跡に指定されています。
本尊に地蔵菩薩が祀られている背景には、建長寺の境内にある谷が元々地獄谷と呼ばれる処刑所となっていたことに由来しています。
建長寺のある山ノ内地域は、鎌倉幕府が置かれた鎌倉の中心部からは山ひとつ隔てた北側に位置し、北の出入り口としての要衝の地となっていました。
境内は総門、山門、仏殿、法堂、方丈までを一直線で結ぶ宗風の伽藍配置が特徴となっています。
三門の奥には鎌倉三名鐘のひとつ国宝梵鐘、方丈に隣接して方丈庭園、一番奥には半蔵坊が配置されています。
半蔵坊の先は人気の天園ハイキングコースがあり、多くのハイカーたちが建長寺を出発点として訪れます。
四季を通して花が咲いている建長寺ですが、特に鎌倉随一と評判の桜と紅葉は絶景、年間50万人が訪れる人気の観光スポットとなっています。
鎌倉を代表する禅寺、建長寺では無料で座禅体験に参加することができます。
明治に入ってから建長寺が修行僧育成のために設立した宗学林、現在の鎌倉学園中高等学校出身の桑田佳祐が境内でサザンのライブコンサートを行ったこともあります。
入場者限定であったにも関わらずミーハーママ達が殺到して周辺の道路が大混雑となったようです。

■観光情報

交通:JR横須賀線北鎌倉駅徒歩約15分
徒歩:北鎌倉駅から線路を右にして500mほど南下すると鎌倉街道に合流するので、さらに鎌倉街道を500mほど南下すると建長寺総門に到着します。
住所:鎌倉市山ノ内8(☎0467-22-0981)
時間:8:00-16:30
拝観料:500円
四季の花:桜(3月中旬-4月上旬)、ツツジ(4月下旬-5月中旬)、ボタン(4月下旬-6月下旬)、萩(9月下旬-10月中旬)、紅葉(11月中旬-12月中旬)

明月院(meigetsuin):紫陽花寺

関東管領、上杉憲方によって建立され、山号を福源山、本尊は聖観音、禅興寺の塔頭(たっちゅう)として建立されましたが、本体の禅興寺が廃滅して明月院だけが現存しています。
別名、紫陽花寺として知られていて、6月の季節には一斉に紫陽花が咲き誇り、「明月院ブルー」と呼ばれる美しい光景を作りだします。
紫陽花だけでなく、本堂後庭園では花ショウブや紅葉の季節も見応えがあります。
毎年初夏の季節には紫陽花目当てのミーハーママ達も一斉に押し掛けるため、ミーハーママ達の狂い咲きも名物のひとつに挙げられるようになりました。

■観光情報

交通:JR横須賀線北鎌倉駅徒歩約10分
徒歩:北鎌倉駅から線路を右にして500mほど南下、左折(鎌倉街道に合流する前、右側が浄智寺)してさらに200mほど歩くと明月院に到着します。
住所:鎌倉市山ノ内189(☎0467-24-3437)
時間:9:00-16:00(6月:8:30-17:00)
拝観料:300円(6月:500円)
四季の花:桜(3月中旬-4月上旬)、ツツジ(4月下旬-5月中旬)、ボタン(4月下旬-6月下旬)、萩(9月下旬-10月中旬)、紅葉(11月中旬-12月中旬)

 

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西郷隆盛ゆかりの観光スポット


目次

1.西郷隆盛誕生地碑
2.私学校跡
3.西郷公園
4.桜島

西郷隆盛誕生地碑

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鹿児島市加治屋町は鹿児島城、鶴丸城近くの薩摩藩の下級武士が多く住んでいた町で、西郷隆盛もここで誕生しました。ほかにも大久保利通、大山巌など幕末維新に活躍した多くの藩士を輩出したところで、各氏達の誕生地碑が建っています。東郷平八郎もここの出身です。

私学校跡

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明治7年(1874年)6月、明治政府の官職を辞した西郷は鶴丸城内に陸軍士官養成のため私学校(幼年学校、銃隊学校、砲隊学校)を設立した。幼年学校は維新の功績者に与えられた賞与によって設立され西郷(2000石)、大久保(1800石)、大山(800石)、桐野(200石)が拠出された。廃藩置県によって特権を剥奪された不平士族達の暴発を防止することが目的とされている。そのため入学できるのは元城下士族に限られた。しかし明治政府による西郷暗殺計画が発覚して私学校生徒による弾薬掠奪事件も起こり明治政府との対立姿勢が強まり西南戦争へ突入していくことなる。西南戦争後、私学校は廃校となり現在、跡地には門と塀だけが残っている。

西郷公園

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西郷公園は西郷像の移設とともに整備された公園で、鹿児島空港の目の前にあります。公園とは思えない立派な門構え、庭園や噴水を配した石畳の広場、西南戦争の錦絵、西郷隆盛や維新の資料などが展示されていて、西郷資料館とでも命名したほうが合っているように思います。

西郷像

西郷公園のシンボルは西郷さんの銅像(現代を見つめる西郷像)です。西郷隆盛没後100年を記念して制作計画が立てられ完成したもので、日本一大きな銅像として知られています。

お土産

霧島茶、薩摩焼酎、さつま揚げ、薩摩銘菓「カルカン」などここでしか手に入らない逸品です。

桜島

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大河ドラマにも良く出てくる薩摩のシンボルですが、島の名前か山の名前か良くわからないのが桜島です。北岳(標高1,117m)、中岳(標高1,060m)、南岳(標高1,040m)三山の中で南岳だけが噴火活動を続けています。火山灰でも良く育つ大きな桜島大根は数少ない桜島の特産品で有名ですが、溶岩で焼くピザも捨てたものではないようです。西郷隆盛もここでピザを食べたんでしょうか。

 

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西郷隆盛ゆかりの観光スポット/上野・城山・西郷公園の西郷さん


目次

1.上野公園の西郷さん
2.鹿児島市城山の西郷さん
3.西郷公園の西郷さん

上野公園の西郷さん

制作者:高村高雲(西郷像)、薩摩犬ツン(後藤貞行)

完成:明治31年(1898年)12月18日(公開)

明治維新最大の功労者といわれ、多くの人に慕われていた西郷ですが、自ら明治政府の職を辞し、その後西南戦争では反政府勢力として戦い逆賊として最後を迎えました。明治22年(1889年)大日本帝国憲法発布による大赦で逆賊の汚名が解かれたことをきっかけに建設計画が始まりました。この西郷像はキヨッソーネの肖像画をモデルにしたもので、3体の西郷像のなかで一番最初に作られたものです。上野の西郷さんとして最も良く知られている西郷像です。西郷像の除幕式に列席した西郷の妻、糸子は西郷像を見て「うちの人はこんな人ではなかった(実際は薩摩弁)」と言って腰を抜かしたというエピソードがあります。礼節を重んじた西郷がこのような恰好で人前に出るような人ではないということを言いたかったようですが、顔が似ていなかったとも言われて、その後「これが本当の顔だ」というものが諸説出てくることになりました。写真嫌いの西郷は生前1枚の写真も残していないため、今となっては本当の顔はわかりません。

鹿児島市城山の西郷さん

制作者:安藤照(渋谷のハチ公像の制作者)

完成:昭和12年(1937年)5月23日

モデル:西郷隆治(孫)(安藤照と西郷隆治は鹿児島二中)、山形県の男性(どちらが本当のモデルかは安藤照しか知らない)

西南戦争で最後を迎えた城山を背景にした銅像ですが、色々いわく付きの上野の西郷さんに対して、本当の西郷隆盛を追求し制作に8年の歳月を費やして完成したのが城山の西郷さんです。大赦直後の明治時代に制作された上野の西郷さんには陸軍大将の軍服を着せるには圧力が大きかったようですが、50年の歳月が経過した昭和になって陸軍大将の西郷さんが誕生することになりました。まさに本当の西郷隆盛像といったところでしょう。妻の糸子さんも満足してもらっているのではないでしょうか。

西郷公園の西郷さん

制作者:古賀忠雄

完成:昭和51年(1976年)

正式名称は「現代を見つめる西郷隆盛像」で没後100年行事として制作が計画されましたが、発注者死去のため完成から12年もの間、倉庫に保管されていた。昭和63年(1988年)に報道によって像の存在を知った有志達により現在地に誘致され、同時に西郷公園として整備された。3人の西郷さんのなかで一番貫禄があります。

 

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